SRSV感染症
柳 元和
1997年オックスフォードでの短期研修を終えて帰国した私は,大阪府栄養士会の学術集会で証拠に基づく医療(Evidence Based Medicine, EBM)に関連する講演をした.当時はEBMについて知る人は少なく,臨床疫学的な手法の解説はめずらしいものであったが,ご記憶の方もあろうかと思う.
ところで数年前,筆者は生カキを食して数時間後,急に倦怠感に襲われ,当時は「風邪でも引いたかな.」くらいに考えていたのを思い出す.その後,激しい腹痛と下痢に見舞われ,食中毒が頭をかすめたが,生カキからはA型肝炎くらいしか思い付かず,それ以上の追及もしなかった.本年に入って偶然にSRSV(小型球形ウイルス,small round-structured virus.現在はカリシウイルス科と命名されているウイルス群.)のことを勉強する機会を得て「これだ!」と思い至ったわけである.
調べてみると,これがなかなかやっかいなウイルスであることがわかる.実は,いまだに培養法が確立していない1).検出方法も高価なRT-PCR法が注目されているにすぎない.したがって1972年にこの種の最初のウイルスであるノーウォーク・ウイルス(Norwalk virus)が発見されて以降も,つい最近に至るまでその病原性がよく理解されて来なかったのである.
ボランティアへの接種実験によると2),50人中82%の41人に感染し,その内の68%は何らかの症状を示した.最も多かったのは嘔気,頭痛,腹痛であり,下痢や嘔吐を伴うものが多かった.発症までの時間は10-50時間で,下痢の持続は24-48時間というところである.通常100時間を超えてウイルスが排出されることは少ない.ただし2週間を超えて排出していた例が知られており,ボランティアの調査によると健常保菌者も存在するようである.
感染源は,まず患者の排泄物であり,人から人への感染の一番の原因である.また吐物の飛沫が環境を汚染する例も多い.食物を介する例としては,汚染された飲料水,加熱調理されていない貝類,卵,サラダ,冷製食品が多い.特に日本では加熱調理の不十分な貝類(特にカキ)からの発症が報告されている3).
やっかいなのは水からの感染である4).行楽地で湧き水を飲むような場合はもちろんのこと,水泳でも感染する例が知られている.もっと深刻なのは上水道からの感染例である.米国では99.99%のウイルスを除去することを目標にかかげているが,技術的には99.98%が限界のようである.そして,このような勧告の下でも上水道からの感染例が起こっているのである.実は先ほど紹介したRT-PCR法は感染力の無いウイルスも検出してしまうので,監視業務には有効でない.適切な監視方法の1日も早い開発が期待されるところである.
Inouyeらの報告によると5),50症例を超える大規模な集団感染例は,レストランに次いで学校,保育園,病院,老人ホームなどで起きている.その意味で集団給食を扱う場では,1年中警戒しなければならない食中毒病原体であると言えるだろう.冬場にも集団食中毒が起りうることを念頭に置いておく必要がある.
ところで殺菌方法であるが,これがまた難しい.培養できないウイルスの殺菌方法を検討することは不可能だからである.そこで苦心の研究を一つ紹介しておく.Slomkaらは6),ネコのSRSV(ネコカリシウイルス)を用いてトリ貝の加熱殺菌実験を行った.それによると沸騰水中60秒で貝の内部温度は平均78℃に達し,その30秒後には平均88℃に達した.そして60秒の加熱処理をしたものからはウイルスは培養されなかった.この結果より彼らはA型肝炎ウイルスに準じた従来の殺菌法で十分対応できるだろうと結論している.
最後に一般的な予防方法であるが,排泄物の完全な消毒,手洗いの励行,調理の徹底した衛生管理などがあげられる.しかしながらもっと重要なことは,調理者はもちろんのこと,排泄物や吐物を扱う医療者に対して定期的監視を徹底することであり2),疑わしい場合は業務に就かなくて良いような配慮がなされることであろう.
参考文献
Green KY. Summary of the first international workshop on human caliciviruses. J Infect Dis 2000;181(S2):S252-S253.
Desselberger U. Viruses associated with acute diarrhoeal disease. In: Zuckerman AJ ed. Principles and practice of clinical virology. 4th ed. pp.235-252. 2000, John Wiley & Sons, England.
Schaub SA et al. Public health concerns about caliciviruses as waterborne contaminants. J Infect Dis 2000;181(S2):S374-S380.
Inouye S et al. Surveillance of viral gastroenteritis in Japan: pediatric cases and outbreak incidents. J Infect Dis 2000;181(S2):S270-S274.
Slomka MJ et al. Feline calicivirus as a model system for heat inactivation studies of small round structured viruses in shellfish. Epidemiol Infect 1998;121:401-407.